物語のような人生を歩んできた。1000万円の年収を得ていた広告代理店を辞め、31歳で教員免許を取得。2004年、静岡聖光学院の教職員となった。2年後、1チームの必要人数(15人)にも満たない、部員12人の弱小ラグビー部の顧問に就任。星野流の改革を施し、わずか3年でチームを花園へと導いた。現在は静岡聖光学院の副校長として学校運営に携わるほか、U17ラグビー日本代表監督を務めるなど多方面で活躍する。静岡聖光学院を〝奇跡の学校〟と称し、教育・学校運営に熱意を注ぐ星野副校長の思いを聞いた。